一生懸命作っている。クオリティにもこだわっている。SNSでは「いいね」もつく。友達も「いい曲だね」と言ってくれる。
――それでも、なぜか上達している実感がない。
もし心当たりがあるなら、この記事はあなたのためのものです。褒め言葉は嬉しいものですが、そこには「どこをどう直せばもっと良くなるのか」が抜けています。SongWritingワークショップの講師3名が、「なぜ作曲のスキルを上げるには“具体的で客観的にアドバイスをくれる第三者”が必要なのか」をテーマに語り合いました。
まずは自己診断。あなたの曲に、こんな“症状”は出ていませんか?
- 好きなジャンル「だけ」を聴き、そのジャンルの曲「だけ」を作っている
- ピアノやギターの手癖、DTMのプリセットから曲ができあがっている
- 上物(メロディ・サウンド)は作り込むが、リズムトラックは「とりあえず」置いている
- 聴いてくれるのは友達とファンだけで、耳の痛い指摘をされたことがない
- 再生数やいいねの数を「フィードバック」だと思っている
ひとつでも当てはまった方は、ぜひ最後まで読んでみてください。これらはすべて、講師陣が「作った本人だけが気持ちよくなっている曲」の典型症状として挙げたものです。
出席者プロフィール
Tatsh(タッシュ)
音楽ゲームの楽曲を中心に活動する作曲家。コナミにて『beatmania IIDX』のサウンドディレクターを務めた後、独立。日本のみならず韓国・中国・ヨーロッパのシーンとも交流を持ち、自主制作楽曲の配信リリースも精力的に行う。楽曲コンテストの審査員も務める。
久米大作(くめ・だいさく)
ジャズ・フュージョン界のキーボーディストとしてデビュー。以降、演奏家・作編曲家として映画音楽(北野武監督『その男、凶暴につき』ほか)、舞台音楽、アーティストのプロデュースなど音楽全般に携わる。音楽学校メーザー・ハウスで約30年にわたり後進を指導。
谷 正太(たに・しょうた)
本ワークショップ主宰。バンドマン出身。作家事務所を経て、サラリーマンとして働きながらバークリー音楽大学の通信課程で作曲を学ぶ。現在はフリーの作曲家兼経営者。作曲理論の指導歴は約10年。本座談会では司会進行を担当。
“ひとりよがりな曲”には、共通の症状がある
本日はお集まりいただきありがとうございます。今日は「作曲がうまくならない人には共通点がある」というテーマでお話を伺います。結論から先に言ってしまうと、その共通点は「具体的に、客観的にアドバイスをしてくれる人が周りにいない」ということなんですが――まずお聞きしたいのは、お二人がこれまで聴いてきた中で、「作った本人だけが気持ちよくなっている曲」の典型的な症状です。
世の中にたくさん曲を出している人と、まだ出せていない人の大きな違いで言うと、アマチュアには「ジャンルに特化しすぎている人」が多すぎると思っています。楽曲コンテストの審査員をやったときに感じたんですが、それ以外のジャンルの素養がない曲って、すぐに分かってしまう。そのジャンルの名曲の“下位互換”になってしまっているんです。
下位互換、耳が痛い言葉ですね。
いろんなジャンルを研究していくと、全然違うジャンルなのに共通項があったり、「楽譜に直すとほとんど同じ曲なのに音色が違うだけじゃん」という発見があるんですよ。だからこそ遠くのジャンルに触れてほしい。よくあるのが、「いろんなジャンルを聴いて」と言うと、トランスをやっている人がトランスの中の幅広いサブジャンルを聴き始めちゃう。そういうことじゃなくて、ジャズ・フュージョンでもクラシックでも、もっと遠くのものを聴くことを勧めたいですね。
結論から言えば「基礎力」なんですが、もう少し具体的に言うと“手癖”ですね。ピアニストならピアノの手癖、ギタリストならギターの手癖から曲ができすぎてしまって、幅が広がらない。DTMも同じで、システム上使いやすい方向に流されてしまう。コード進行とは何か、ジャンルにとらわれない音楽の骨組み・土台を知っているかどうかで、音楽に対する客観性はだいぶ変わります。
僕は毎年楽曲コンテストを見ていて最近顕著だと思うのが、サウンド面ばかりにこだわって、リズムトラックがガタガタな曲です。YouTubeの影響かもしれませんが、上物へのこだわりはすごく伝わってくる。コードも昔より調べやすくなって、難しいコードを使いこなしている。でも、聴いていて体が動かないんです。音楽の三大要素の一番土台はリズムだと思っていて、そこが崩れている。本人は一生懸命上物を作っているので、満足度はたぶん高いんですよ。
最近はあえてリズムを“しょぼく”作ってヒットしている曲も多いんですよね。それが「あえて」だと気づかずに、「これが満点のリズムトラックなんだ」と思って聴いてしまっている人が多いのかもしれない。がっちりしたリズムを弱体化させて面白いサウンドを出すのは、本当は上級のやり方だと思います。
DTMだと、ビートが“とりあえず”すぐ手に入ってしまうのも大きいですね。ピアノやギターで作る人はまず自分で伴奏するけれど、DTMは早くメロディーとコードに行きたいから、リズムはプリセットを置いて終わり。だからビート自体が弱体化するんでしょうね。
プロも通ってきた、「ひとりよがり」の時代
では、ご自身が“ひとりよがりだった”時期はありましたか? そこを抜けたきっかけと合わせてお聞きしたいです。
僕は15歳くらいから作曲を始めて、無我夢中で「自分の中でいいと思う曲」を作ることをやってきました。転機は23歳でコナミに入って、サウンドディレクターとして“曲を作る側”だけでなく“曲を集める側”になったこと。「なぜこの曲が今このゲームに必要なのか」が分かるようになって、ようやく客観性が身につきました。
もうひとつは、音楽ゲームには選曲ランキングがあって、どの曲がどれだけ遊ばれているかをプレイ回数を細かく見られたこと。当時のゲームは、熱心なプレイヤーなら全曲を最低1回は最後までプレイするんです。つまり「1回は最後まで聴いた上での選曲回数」なんですよ。最後まで聴いて好きになってもらえる曲とそうでない曲の違いを学べたのは大きかったですね。今は、最後まで聴いてもらえるまでのハードルもありますし。
僕はジャズ・フュージョンの世界で育ったので、理論もジャズ理論。ドミソの上にテンションをどんどん加えていく音楽の中で育ちました。それで自分が一番「埋没してるな」と気づいたのは、逆に“シンプルなもの”に出会ったときです。
バンドブームの頃、スタジオミュージシャンや編曲でたくさん仕事をもらっていて、自分としては「いい響き」だと思ってテンションコードを足すと、レコーディング中にアーティストから「なんかよく分からない音が入ってるんですけど。それ、いらないんですけど」と言われる(笑)。よくよく突き詰めると、このジャンルのこの人たちにはテンションは必要なくて、CはドミソのC、AマイナーはAm7じゃなくて本当にただのAmで作らないと、この人たちが望むサウンドにならないんだ、と。自分が最高峰だと思って学んできた理論が、目の前の仕事では使えないこともあるんだと痛感しました。
面白いのはその後で、渋谷系が来たときには、逆にそのジャズの語彙を彼らがほしがってくれた。つまり、使うハーモニーやメロディー感は、そのジャンルに特化したものを知らないと、本当に“自分マインド”になりすぎてしまうんです。
まさに「ジャンルのTPO」ですよね。
僕は出身がバンドマンで、その後に職業作家をやったんです。最初は「自分のキャリアを活かせるもの」、いわゆる“オレがオレが”で作っていて、全然採用されない。1年くらいで方向を変えました。職業作家はいかにオーダーに応えるか。個性って自分で決められるものじゃなくて、いろんな楽曲を通して滲み出てくるものなんだと思うようになってから、作り方が変わりましたね。
僕もコンペ経験があるんですが、コンペのときは個性を意識しませんでしたね。単純に「オーダーに沿っているかどうか」で曲を作っていた。ただ僕の場合、途中でコンペに対して、思うこともあり、受けなくなりました。
でも「オーダーに沿って作る」こと自体はすごくいい訓練なんです。オーダーに沿って作っても、自分が作ればちゃんと自分のものになるし、そこからまた個性も見えてくるんですよね。
今の話で言うと、プロが“自分よがり”にならない最大の理由って「発注」なんですよ。発注者は、こちらが知らないものを平気で投げてくる。それで食っているわけだから「分かりません」とは言えない。「はい分かりました」と言って、家で徹夜で調べる(笑)。これが日々続くと、視野は嫌でも広がります。逆に言えば、アマチュアやプロを目指して頑張っている人には、そういうシーンが少ない。アドバイザーが少ないのは、本当にもったいないことです。飛べる才能もあるわけですから。
それで思い出すのが、メーザー・ハウスで習っていたときの授業で、ハービー・ハンコックの「処女航海」が課題曲になったときです。ポップスしか聴いていなかった15、6の子が聴くと、「これは何なんだ」と。あの展開のなさが、つらすぎるわけです。でも5年、10年経って、「うわー、なんていい曲なんだ」とモードの素晴らしさが分かるようになった。やる意味がわからなくても、あのとき課題曲と向き合えたのは、すごく良い経験になったと思います。
なぜファンや友達の「いいね」では上達しないのか
ここが今日の核心です。ファンや友達からのコメント、SNSの数字。ああいったものはフィードバックとして機能するんでしょうか。
一番良くないのは、友達同士でいいコメントしか言われない状態です。それなら講師からのコメントをもらう方がずっといい。ただ、一歩出して発表しているならまだ立派で、作ったけど出せていない子の方が実は多いと思いますよ。
いいコメントが良すぎて「自分は大丈夫か?」と逆に思える人は少ないですからね。あとは、そのコメントが付いている“場”にもよります。仲間が集まりやすい狭い場所で褒められて、「広いところに出すのは怖いから、ここでいいや」となってしまう。本当ならもっと大きなフィールドで勝負しなきゃいけないのに。
再生数はどうでしょう。今の時代、数字がひとつの指標にはなっていますよね。
他のアーティストとの比較として使うのは、あまり参考にしすぎない方がいい。上には上がいますし。
面白いのは、PVは大して再生されない割にはCDが売れるサークルもいます。再生はするけど買わない層と、大して再生しないけどお金は出す層に、はっきり分断が起きている。お金を出してもらうという視点だと、再生数だけ見ていても分からないことが多い。あと、結局は曲そのものの良さより企画力とか、ハマり具合の方が数字には効いていたりするのかと思いますね!
数字が悪いから曲が良くない、とは限らないということですよね。届け方の問題かもしれない。
アンチコメントについても言っておくと、アンチって実は「好き」のニアリーイコールなんですよ。無関心な人はわざわざ書き込まない。だからアンチがつくこと自体は気にしなくていい。問題は、褒め言葉しか届かない環境の方です。
数字を追うより、届け方を考えるべきだと。
すでに誰かがウケてしまっている場所は、もうレッドオーシャンなんです。だから、新しい音楽のリリースの仕方、活躍の仕方にどんどん挑んでいくといい。「ここじゃヒットは生まれないだろう」というところにヒットは生まれるので。
その「次の場所」って、どうやって探すんですか。
日本語の曲って今、世界では“クールな音楽”になっているんですよ。昔は英語で歌う方がかっこよかったのに、アニメやゲームの二次元カルチャーと紐づいているので、中国のイベントに行っても日本語の曲が流れてくるくらいで。あえて日本語にプライオリティを置いて世界に発信するのも、今のひとつの突破口かもしれないと思っています。
ジャンルの幅を広げるのと同じで、発信の仕方にも「今どこが面白いか」を知るリテラシーがいる。もはやそこまで含めて“作曲”なんだよね。単に目先の曲作りだけをしていると、どんどん狭くなってしまう。
“有効な第三者”の条件は、たったひとつ。「具体的であること」
では、誰の意見でもいいわけではないですよね。ファンや身内って、結局は利害関係の中にいるから、都合のいいことしか言わない。そうすると「有効な第三者」は利害関係の外にいる人ということになりますが、その条件とは何でしょうか。
アドバイスするときに、その人の“好み”を切り離して、客観的にクオリティの部分を指摘できるか。そして講師からのアドバイスなら、「こうすれば良くなる」という具体案まで示せるかどうか。「なんとなく良くないんだよね」と言われるより、道筋を出してあげるコメントの仕方が大事だと思います。
「フックがない」とか、それだけなら誰でも言えますからね。
本当にその通りで、最近こんなことがありました。クラシック出身のバイオリニストの17歳の子に、ポップスの現場で活躍している奏者がレッスンをしたんです。「クラシックならここで弓を切っていいけど、レコーディングでは必ずリバーブが乗るから、ここで切ると音量的に不自然なものが生まれる。だから弓をつないで」と、非常に具体的だった。
実はその子、少し前に別のクラシックの先生からもアドバイスを受けていたんですが、そちらは「もっと音楽自体を感じて」という感覚的なもので、その後の演奏はあまり変わらなかった。ところが具体的な指導の後は、ものすごく変わったんですよ。「ただフックがない」ではなく、なぜそうなるのか、指のさばきはどうするのか。音楽に即した具体性が、人を変えるんです。
具体性で言うと、僕が音楽学校で教えていたとき、「プロとして音楽で生活できるようになりたい」という相談に、「年間50曲作って、こういう形でリリースすれば、今の段階で最低このくらいは稼げるから、やってみれば」と答えたことがあります。「頑張れ」じゃなくて「50」という数字。そういう具体性がすごく大事だと思いますね。
年間50曲って、週1ペースですもんね。
そう。週1で曲を作れるようになると、作曲筋力は相当鍛えられるんです。
筋トレじゃないですけど、あえて重量を重たくする時期って必要ですよね。
大事、大事。
身体を鍛えている自分としては、いつまでも軽いダンベルで「私、ジムに行って頑張ってるんです」と言っても、実はそんなに変わらないですよ……。ちょっとずつ重りを増やしていかないと。
あとは「完成しなくても出す」ことですね。完璧主義になると、せっかく16小節できたのに、次の展開がうまくいかないからと16小節ごと捨ててしまう。一人でやっているとそうなりがちなんです。
「作れなかったなりに、ここまでできました」を出す。それも自分の中のひとつの客観性なんですよ。出してくれれば、「じゃあ、ここから先ができない理由は何だろうね」という話に入っていける。
それが言えるのがスクールのいいところですよね。実際の仕事だったら「8小節で嫌になったのでできませんでした」と言えば、厳しいですが「じゃあ次から大丈夫です」と言われて終わりですから(笑)。
プロは何秒で聴き分けるのか――「玄関が汚い家は、中も汚い」
少し意地悪な質問です。人の楽曲を聴いて「この曲は伸びる/伸びない」を判断するとき、何秒で、どこを見ていますか。
僕は、その人が聴いている音楽の幅が狭いなと感じたら、そこで減点がはじまってしまうかもです。「よくできてるけど、結局○○さんの劣化版になってるな」と。上位互換の曲が見えてしまう曲よりも、上位互換が見えない曲は、クオリティが低くても光って見えると思います。ただ、こういう視点は一般的なリスナーとは関係ない部分で、数年後の作家への加算点なので、別の視点かもですね。
僕はまず、音楽の根幹にあるベーシックな部分――リズムも含めた土台が、その楽曲の中でちゃんと体現されているか。ただ難しいのは、基礎が分かっていないのに、それが良い方に出ちゃっている人もいるんですよ(笑)。そこは次のインタビューをしてみないと分からない。分かっていないままここまで来た人にはこれが必要、感性では分かっているけど理屈が分かっていない人にはこのやり方、と方向を決めていきます。
あと、コンテスト審査で僕の中に一個確固としてあるのは、「イントロがダメな場合は、その後もほぼ盛り返すことはない」。
「玄関が汚い家は、上がった後も綺麗なわけがない」っていうことだよね。
イントロで引き込まれない曲が、その後で挽回することはほぼないんです。「サビから作っているのでサビはいいと思います」と言われても、前菜が美味しくないのにメインだけがおいしい食事って、あんまりないですよね?
前菜が美味しくないとその時点でテンションが下がってしまっているので、その流れでおいしいメインが来たとしてもあまり美味しく食べれないというか……。
そうなんです。イントロを大事にしないと人にちゃんと審査員に聴いてもらえない可能性あるよ、というブログ記事をXに上げたら、「玄関汚い奴は家入っても汚いですよね」ってコメントがついて、本当にその通りだなと(笑)。
音楽って、どうしたって時間の産物なんですよ。絵のようにパッと全体を見せられない。この時間の流れを作曲家としてちゃんと捉えられるかは、ベーシックな意味で本当に大事。どこで掴むか、構成をどうするか。オーケストラも今の作曲も、全部そこにつながっています。
ある有名アーティストが「曲は大体2秒か5秒聴けば分かる」と言っていましたが、本当にその通りで、大体その人の実力が分かってしまうんですよね。
独学の限界と、「独学」と「自走」の違い
お二人とも教える立場を長くやられています。「自分のところに来るまで独学でした」という人の、伸び悩みの共通点はありますか。
ここまで話してきたことに尽きるんですが、基礎の骨組み――ハーモニーとメロディーの力学のようなものをきちっと分かっているか。それから時間の使い方、道具(DAW)の使い方、生楽器ならオーケストレーションの知識、そして発表の仕方。独学の人は、これらのどこかが抜け落ちていることが多い。一つずつ埋めていくしかありません。
独学で進められること自体はすごいことなんです。ただ、独りだと、基礎を身につけたつもりでも、それが正しいかを確かめる相手がいない。そこで少しズレたまま進んでしまう、ということは良く起こります。
一方で印象的だったのは、逆のケースです。「独学でよくここまでできたね」という人にも会うことがあって、そういう人は客観性がすごい。ヒット曲や自分の好きな曲を、理論こそ分からないなりに「ここが受け入れられているんだ」「ここが受け入れられないんだ」とものすごく細かく分析している。その人は実際にプロになりました。独学でここまでいける人がいるんだ、と衝撃を受けたくらいです。だから独学で絶対に無理とは言いません。ただ、その人にはもうひとつ共通点があって――質のいい仲間がいたんです。一緒に曲を聴いてもらえる同年代の仲間。結局そこなんですよね。
僕は「独学」と「自走」を分けて考えてほしいと思っていて。自走――自分で走る力がある人は、独学でも進む。逆に、人に習っていても自走がない人は進まない。講師に教わりながらも、教わったことをただ受け止めるんじゃなくて、自分の中で消化して、納得して受け入れる。その「消化」がないと、何も繋がらないんです。
その「消化」はすごく分かります。僕も理論をかれこれ9年、10年教えているんですが、その場でいかに「あー、そういうことか」と納得させられるか、消化させられるかを大事にしていて。一度そこまで消化した人って、その後忘れてしまっても、ノートをパッと開いた瞬間にすぐ思い出せるんですよ。逆に消化しないまま進むと、「あれ、なんだっけ」とノートを見返しても分からない、ということになってしまう。
消化、大事ですね。理論も「ドミナントセブンはこういうときに使うもの」と暗記している段階では、まだ理論に絡め取られている。ドミナントというものに対して自分の中に音のイメージができると、「ここではあえてドミナントを使わない」という方向性が生まれる。道具として使いこなせるようになるんです。最終的には、学んだことを実際に音楽にして確かめてもらう。それをどんどんやらせないといけない。
世の中には「理論を学ぶと個性がなくなるから学びたくない」という意見が根強くありますけど、それは多くの場合、言い訳ですよね。「理論を学んでも個性がなくならないようにするにはどうすればいいか」を考えることの方が、よっぽど大事だと思います。
あえて聞きます。「才能」という言葉についてどう思いますか?
そもそも才能って、何だと思いますか。
才能は「継続できること」だけあれば十分だと思っちゃいます。それ以上の才能とか素質とかよりも、それが最も大事だと最近は思います。けっこう辞めていきますし。プロフィールにcomposerと書いてあっても、曲をリリースしていない人も多いですしね。
続けていく道筋の中で、才能が育まれていくという考え方ですか。
自分がアマチュアの頃も含めて、すごく良い音楽を作れる人もいました。でも、辞めてしまったり、発信をしなくなってしまった生徒も過去に多かったです。本当に難しいのは、その先――たくさん作り続けること、音楽の仕事をやり続けたいと思い続けることの方なんですよ。やっぱり、何十曲、何百曲も作り続けることは簡単ではないと思います。
音楽って、実は“大工仕事”の部分が非常に多いんですよ。ちゃんとした土台を作れば家が建てられるし、雨風が来ても倒れない。音楽的に言えば、構成がしっかりしていればちゃんと聴かせられる。玄関を綺麗にする、どちら向きに建てるか考える。その技術がちゃんとした上で、「今度はもうちょっとかっこよく建ててみよう」「自分は実は北側玄関が好きなんです」が出せる。それが“その人らしさ”であって、才能はその上に乗るものです。「天から与えられた才能が最初からあったからこの人はこうなりました」なんて例は、あんまり見たことがないですね。
ただ、ひとつ言えるのは――“頭の使い方”がうまい人は、習得のペースが早いということ。ただこれは頭の回転の速さとは別で、才能というより“コツの掴み方”に近い。しかも、例えば絶対音感を持っているかどうかが決定的でないのと同じで、それ自体が最終的な差になるわけではありません。結局は、何を作るかが大事なんですから。
音感と、サウンドメイキングは、かなり別の能力かなと自分は思っています。
生楽器をやると分かるんですが、全員が同じピッチで演奏するなんてありえないんですよ。打ち込みだけやってきた人が生楽器に直面すると「ピッチ、違ってませんか?」となることがあるんですよね。(汗)でも本当に大事なのは、そのピッチの揺れを“言い分けられる”音感の方。絶対音感が優れていることが一番すごいのではなくて、「何がこの音楽に必要か」を聴き分けられる音に対する感覚が、一番大事な音感です。
才能の話に戻ると、僕はちょっと反対側の見解かもしれません。幼少期の経験は、ある程度影響していると思うんです。音楽教育とかじゃなくて――僕、いまだに自分のメロディーが、母親が朝食のときに流していた音楽に影響されてるなと思うことがあるんですよ。気になって自分で調べた時期もあったくらいで。しかも面白いのは、音楽に興味を持ってから「かっこいい」と思って聴いた音楽よりも、全然興味がなかった頃に耳に入っていた音楽の方に影響されている。自分のメロディーを褒められたとき、「これが自分の個性なのかな?」と思うことがあるんです。正直、自分でコントロールできないものなので。
非常に面白いですね。自分はむしろ、子どもの頃に流行していた音楽をあまり好きではありませんでした。音楽理論を学び、あらためて分析してみると、コード進行に逆進行がない、ブルーノートが使われていない、マイナー調ではない、といった共通点が見えてきました。「なぜ、あの頃の自分はこの音楽を好きになれなかったのか」を、後から理論的にひも解いていくのも、とても面白いです。反対に、自分が惹かれてきた楽曲についても、音符の動きやコード進行、サウンドの質感などを分析することで、「なぜこの曲を好きになったのか」が少しずつ見えるようになりました。
僕は小さい頃からピアノをやっていたから、それ自体が今の自分にどう跳ね返っているかは、正直あまり分からない。楽器をやっていてよかったとは思うけれど。ただ、音楽を離れても「これは嫌だけど、これは好きだな」という嗜好って、誰にでもあるじゃないですか。それはもうしょうがないもので、それが今の自分の音楽のどこかのパートにはなっているんだろうなと。
それで思い出したんですが、僕らの子供の頃のアメリカ製アニメって、日本で放送するときにセリフを吹き替えるから、音楽ごと差し替えられていたんです。それで音楽担当の方が当時のジャズをずっと後ろに入れていた。2歳、3歳の頃に夢中で観ていたアニメの後ろで流れていたあのサウンドが、後にジャズを好きになったとき「あ、これだ」と。何気なく聴いていたものが、今の自分のハーモニーのテンション感を作ったところはあるかもな、と思ったことがあります。
まさにそれです。それを才能と呼ぶかは別として、音楽を離れた全人格的な「嗜好」が、自分の音楽を支えている。
性質という意味では、子供の頃からチームスポーツが向いてなくて、一人で遊ぶのが大好きでしたね。勉強も一人でやってる方が楽しい。一人でやり続けることが得意なのは、生まれ持った性質なのかなと思いますね。それが結果的に、作曲を続けられていることに繋がっている気はしています。
あっ、僕も。友達と遊ぶより、一人でブロックで遊ぶ方が好きでした。
嗜好で言うと、「1ミリ行くとちょっと嫌なんだよな、1ミリ手前がいいんだよな」という感覚。それに気づけると、自分の個性になる。逆に、嗜好から離れたものを発注されたときに「これ苦手なんだろうな」と自覚できるから、ちゃんと調べて焦がさず作れる。客観性って、そういうことでもあるんです。
才能という大きなテーマ、めちゃくちゃ難しかったですね(笑)。三者三様の答えが出たところで、次にいきます。
第三者の意見で、個性は死なないのか
読者が一番恐れているのは、たぶんこれです。第三者の意見を取り入れることで、逆に個性が死ぬケースはありませんか。
あります。ただそれは、どちらかというと講師の側の問題で。講師は懐が広い方がいい。いろんな音楽の可能性をちゃんと否定せずに伸ばしてあげる。その芽を潰さない、講師の色に染めない。そこが大事だと思うね。
教えるという立場になった瞬間、その人にとっての「第三者」になるわけだから、大事なのは信頼です。そしてこれは、実は双方向なんですよ。メーザー・ハウスには何百人も生徒がいたから、中には、正直あまり本気で向き合ってくれない子もいる。そうすると、こちらも本気で返しづらくなるんですよ。向こうにも聞き入れる態度がない。だから教わる側にとって大事なのは「信頼できる人間のところへ行く」ことだし、講師側から言えば「信頼される人間になろう」ということでもある。
僕が今まで出会った師匠と呼べる人には、厳しい人も、顔を見たくなくなるような人もいました。それでもついていけたのは根性論じゃなくて、「この人は本当に音楽自体を考えて、ちゃんとアドバイスしている」と分かったから。感情的に言っているだけの人とは、そこが違う。
正直に言うと、僕は「そうじゃない先生」もいらっしゃると思っていて。自分の中で「これが音楽の正解だ」「こういう音楽こそ至高だ」というのがありすぎる先生。実際、そういう人に学んでいましたという人にお会いしたこともあるんです。
個性が死ぬ可能性は高いですよね。一種の潔癖症かと最近は思っています。世の中の音楽に「こんなものが流行っちゃダメだ」とケチをつけたがる。ネットを見てても最近ありますよね。人にケチをつけることに時間を使っている人とは、自分も遠ざけるようになりました。
普通の感覚の人はそういう先生から自然と離れるんですけど、押し負けて信じちゃう人もいるんですよね。
指針の「一つ」にはなってしまうからね。だからこそ、ここでも「具体性」です。舞台の音楽監督をやるとき、歌唱指導の方で大事にしているのは、具体的に言ってくれる人。「その声なら肩をちょっと落として」「ここのブレスが悪い」と言ってくれる人は次も頼みたい。「もっと声出して」――どうやって出せばいいのよ(笑)。雰囲気や情緒的なことだけ言って、何か言った気になっている人は、非常に警戒しています。
ボイストレーナーで言うと、自分の歌い方を真似させる先生っていますよね。その人を伸ばすんじゃなくて。
良くはないですよね。すごくいい素材を持っているのに、トレーナーの癖をコピーしてしまう。それだと、良い感じにはならないですよね。
逆に良い第三者の例で言うと、今日この場にはいらっしゃらないんですが、越智先生(MITCキーボード講師)って、その人が向いているもの・向いていないものを見抜く力がすごいなと思っていて。Tatshさんも昔「君、作曲うまいね」って言われて、実際に作曲家になってるじゃないですか。その人のプラスの部分、磨いたら光りそうなところを見抜ける力って、第三者としてすごく重要だなと。
指導者と教わる側の関係って、全部そうだと思うんですが――回っているコマの中心に「あんたも入りなさいよ」と引き込むんじゃなくて、回るのは君だから、僕は周りで見ていて「そこの立ち方がまずいよね」と言う。その人がいなくなった後も、ちゃんと一人で回れるように。その距離感を保てる人が、有効な第三者です。
宗教じゃないんですからね。
そう、宗教は抽象的である世界だけど、指導はその対極で具体性が大事だと思います。
「向こうに見える青空を見て」みたいに言われるとやってる気にはなるし、アーティスティックな感じもするんだけど、「青空はどこだよ」って(笑)。そうじゃなくて、青空を見るための姿勢を具体的に教えてくれ、という話なんです。
ただ――すがりたい人ほど、そのダークサイドに落ちちゃうんですよね。
僕は歌唱指導の方々を“使う側”でもあるから分かるんですが、結局「この人、分かってるな」という人に次も頼みたくなる。教わる側も使う側も、見ているところは同じなんですよ。
このワークショップで、あなたが最初に受ける「衝撃」
最後に、今回のSongWritingワークショップについて。参加者が最初に受ける“衝撃”は何だと思いますか。
まず「世の中にこんなにたくさんの種類の音楽があるのか」を知ってもらいたい。そしてもうひとつ、今回はグループレッスンが主軸なので――他の参加者の曲を聴いたとき、自分が思った感想と、講師陣の感想の“差”。ここに衝撃を受けてもらえたら良いかもですね。
私は技術力ですね。音楽に絶対必要な技術。作曲で言えばハーモニーの動き、まず“てにをは”。その上で「インパクトを出すなら最初に結論を持ってくる」といった話法を繰り返し身につけてもらって、技術の土台の上に自分の色をどんどん出してもらう。「この音はここには置きません」ということも含めて、具体的に衝撃を受けてほしいなと。
僕は「音楽はこうでなきゃいけない」というネジを外せるレッスンにしたいです。「このジャンルはこうじゃないといけない」という思い込みは、自分の可能性をどんどん狭めます。そして、ワークショップを通して、今まで聴いていた音楽を「自分だったらこうするな」という視点で聴けるようになってもらえたら。そこがすべての始まりだと思っています。
では最後の質問です。どんな人に来てほしくて、逆に、どんな人は来ても意味がないですか。
この座談会で話す前は「期間内に曲を作れない人は他の講座の方がいいかな」だったんですけど――やっぱり、作れないなりに作ってきたものを出すのもOKってことなら、「今週は楽譜でしか出せませんでした」でもいいにしましょう。それも含めて客観性を鍛える場になってもらえたらと思います!
僕も「来てほしくない人」はいません。ただ、ある程度の知識がないと面白がれない部分はあるから、その場合は他の講座を先に受けた方がいい。でも、だからといって「自分は持ってないから」と離れないでほしい。まずは来てください。その上で「君にはこの方向があるよ」と案内できるので。
「自分が行ってもいいのか分からない」という人、沢山いらっしゃると思うんです。でも参加してみて、自分の現在地を知ること自体にすごく価値がある。事前にこちらから「これを先に勉強した方がいい」と案内しても、たぶん腑に落ちないんですよ。実際に自分の作った曲を先生に見てもらって言われたら、「自分ってここが足りないんだ」と本当に腑に落ちる。それをサポートする体制を用意して、お値段もかなり抑えていますので、ぜひ利用してもらえたらと思います。
本日はありがとうございました!
【編集後記】
取材を終えて印象に残ったのは、3人が「才能とは何か」というテーマでは最後まで意見を揃えなかったのに、ある一点だけは全員が同じことを語っていた、という事実です。それは、上達に必要なのは褒め言葉ではなく、「こうすれば良くなる」という具体的な指摘であるということ。
ファンや友達は、あなたとの利害関係の中にいるから、都合のいいことしか言いません。再生数やいいねは結果を示すだけで、「どこをどう直せばいいか」までは教えてくれません。座談会で語られた“有効な第三者”とは、あなたの好みにも人間関係にも縛られず、道筋まで示してくれる存在のことでした。そして講師の側にも、あなたの色を塗りつぶすのではなく、磨けば光る部分を見抜き、いつか一人で回れるように支える責任がある――そんな話でもありました。
もしいま、あなたの曲に返ってくるのが「いいね」や「いい曲だね」だけなら、それは“どこを直せばいいか”を教えてくれる声が一つもない環境かもしれません。冒頭のチェックリストにひとつでも当てはまった方は、一度、利害関係の外にある耳に――具体的で客観的に指摘してくれる相手に、自分の曲を聴かせてみてください。このワークショップは、そのための場所です。
あなたの曲に新たな気づきを。MITC講師陣が伴走します。
SongWritingワークショップでは、谷 正太・Tatsh・久米大作の各講師が、あなたの作品を具体的かつ客観的にフィードバックします。詳細・お申し込みは下記から。
SongWritingワークショップの詳細を見る一生懸命作っている。クオリティにもこだわっている。SNSでは「いいね」もつく。友達も「いい曲だね」と言ってくれる。
――それでも、なぜか上達している実感がない。
もし心当たりがあるなら、この記事はあなたのためのものです。

